うつくしいもの

 

一日本を読んで過ごしたらすごく楽しかったしすごく疲れてしまった。

 

綺麗なものだけを見ているのは簡単なことだと思う。

自分の感情を全部綺麗なものっていうフィルターにかけて見続けることも出来る。

だけど私は綺麗なものだけを見ていることはしたくないなと思う。

自分の醜い感情にも目を向けて、しっかり目を合わせていたい。

目を逸らさずに生きていたい。

人をばかにしたり、自分を良く見られたいと思うこと、

小さなことで腹を立てたり、傷付いているのか傷付いたふりをしているのか、

自分の傷に夢中になってしまうこと、

なにかを大事にしないこと、ぞんざいに扱っていることを気付かないふりをして、

そんな感情たちと目を合わせることを辞めない。

映画や本の物語やノンフィクションには綺麗なものが溢れている。

素敵ってうっとりしたり、わくわくするものに溢れてる。

本当に魅力的で、優しい。

そこにあるときめきがとっても大好きだし、人生に必要だって思う。

だから、それだけにしない。

目を瞑ってしまいたくなるようなことも見ようとするんだ。

考えたら恐ろしくなるようなことも、しんどくなることも、

途方もないと感じることも。

 

まいにちは今ここにあるものでしかなくて

それ以外はちゃんとそのままを知ることはできない。

人のきもちだってそう。

今ここに、自分の胸にあるものしか知ることができないから

できないから知ろうとするのだと思う。

 

傷を見て、「痛かったよね。」って言うのは

本当の痛さを知ってるよなんて言いたいわけじゃなくて

「がんばったね。」とか「すごいね。」って言うのは

私が”本当”を理解して褒めたり感心してるのじゃなくて

あなたがあなた自身を理解して褒めてあげて欲しいから。

 

そんなことを伝えられるように

一欠片でも知りたい。

だから傷のことも読む、みる、聞く、感じる。

 

 

私は人間だから、動物だから、

自分のなかにあるものをからだいっぱいで表現してみたい。

 

それに理由はない。

必要ない。

 

生きてるってことを感じたい

ただそれだけだと思う。

 

こころとからだが繋がったとき

とても「生きてる!」って感じる。

 

声にきもちを乗せたとき

誰かに伝えたい思いで突き動かされたままに触れたとき

会いたくて走るとき、歩くとき

吸い込んだくうきを胸から感じるとき

 

本当は、みんな言ってる。

 

生きたい!

生きたい!

生きたい!

 

生きてる!

 

 

愛してる!