no title

 

うれしいがおおき過ぎること。

 

例えば名前を呼んでくれたことや、目を合わせて話しかけてもらえたこと。

そういうことを特定の人だけじゃなく嬉しくなって私は日記に書いたりしちゃう。

そういうことが、きっと私はおおき過ぎるんだってなんとなくずっと気付いてた。

それに、自意識が高いほうだから、扱い方には気を付けるようにしてる。

私はこの気持ちに説明を、自分でもできない。

 

恋心だと言われたら、

はっきり否定することができない。

恋ってなんなんだろう。

そうしたら私みんなに恋をしていることになる。

 

例えばその人のことが数日間頭から離れなくなったり

ふとしたときに思い出して嬉しくなったり

ずっとずっと、思い出すことをおまもりにしたり。

もし、知らずに自分のことを愛せずにいるのだとしたら

誰かにこんな思いを与えてるあなたはあなたを誇らしく思って欲しい

なんて思ったりする。知ってほしいと思う。

それが、ずっと、だったり、数年経って思い浮かべたりする。

そんな人がたくさんいる。

 

そういうおおき過ぎる思いを、持て余している。

 

そのままを伝えることができないから

私にも説明ができなくて

だけど私だけが知っていて大事にするにはおおき過ぎて

どこへ行けばいいのかわからないまま。

ときどき途方に暮れる。

 

 

 

例えば素直さに胸いっぱいになって泣き出しそうになったり

その笑顔から伝わるものに胸いっぱいに嬉しいが溢れたり

優しさに触れてあんしんしたことが恥ずかしくてあたたかかったり

そういうことに 有難うがいっぱいでたまらなくなって。

 

 

思う。

おおきいこと。

 

あるひとは、うたうたい。

歌になる。からだ全部使って、思いが生まれるときにうたが生まれる。

 

誰かはきっと、絵を描いて

誰かはきっと、小説を書く。

 

誰かは踊り、誰かは話し、誰かは演技を通して表現する。

 

私は、

 

 

こうして文章にしてみても

届かなくて、うまくできなくて

ずっとなにかになるのを望んでる。

 

…ずっと誰かに受け容れてもらうことを望んでるんだ。

 

それはいけないことだと思ってた。

だからずっと蓋をすることばかり考えてきた。

 

本当はそのままでいたい。

私は私で生きていたい。

 

こうして足踏みしながら探してる。

 

一秒ごとに景色は変わってるはずで

だから、だいじょうぶ。

 

 

ことばって無意味なんだ。

だけど同じくらい大きい意味を孕んでる。