日記

 

おしえてもらうこと

ってその人の持ってるものを分けてもらうみたいで嬉しい。

 

その人の時間を自分に使ってくれているというだけで

とても大事な時間に思えるし、

きっとそこまで深く考えずにしてくれているのだろうけど

私はこの大事な時間からもらえるものを大事にしたくて

全部を受け止めたいと、零したりしたくないと思う。

 

それはどんなことにも隠れていると思う。

そこにあるだけで、あるのだと思う。

 

なんでもないように話していても

なんでもないような話に見えても

その人にとって、私にとって、どういうものなのか見極めていたい。

 

そこに心があると気づいたら、片手間に聞く、ということができない。

立ち止まって、ちゃんと向き合わずにいられない。

それってとても不器用なことなのかもしれない。

結果的に、立ち止まったことで、迷惑をかけることもあるかもしれない。

それでも私の中の優先順位はどうしても譲ることができない。

 

”その人”が、そんなこと望んでいなくたって

私は気付かずにいることがくるしいから。嫌なんだ。

どうしても、嫌。

 

どうしても思いの方に、目が向いてしまうみたいだ。

 

 

昔、付き合っていた人が何度も何度も同じ話をしてしまう人で

きっと仕事でたくさん考えることがあるからって私は思っていたのだけど

話したことを、どうもさっぱり忘れてしまうらしい。

何度目かの話でも、同じように表情を変えたりするものだから

きっと本当に忘れているのだな、と思っていた。

 

その時、私は「それ、前に聞いたよ。」とか「二回目だよ。」とかは

言わないようにしていた。

 

だって、聞いて欲しいっていうきもちのときに

そのきもちを折ってしまうような気がしたから。

話したい!と思って、

でもその気持ちの行き場がなくなってしまうというか、、

 

どうして同じ話なのに聞いてくれるの?って彼に言われたときに

そのことを話したら、感心してくれた。

すごく、素直でまっすぐなひとだった。

 

結局内容じゃなくて、

そのときの”話したい”の思いの方に目が向くから

それを優先したかったのだと思う。

(3回目、4回目くらいになると、実は前にも聞いたよって言ったりもしていたけどね。)

 

 

リアクションや受け答えも、手を抜かないというか、

「聞いた、聞いた。」みたいな態度は絶対にしたくなくて

 

話を聞く、というよりも、話すって本当は

思いを受け取る作業なんじゃないかと思う。

 

 

 

おしえてくれるとき

その人の持ってるものを分けてもらうような気がして嬉しくて

 

例えばお辞儀の角度や

お腹の前で重ねる手を、右手を下にすること。

その理由を教えてくれたこと。

そういうことを嬉しいという気持ちで私は受け止めている。

 

綺麗にできなくても

上手じゃなくても

嬉しくて、ありがとうって、忘れないことで受け止めているの。

 

その人の持っている素敵なものを見せてもらったみたいなきもちになる。

それは大事にしている石ころを見せてもらうのと同じで

おきにいりの本を見せてもらうのと同じで

たからものの指輪を見せてもらうのと同じ。

 

不器用で、面倒くさがられることもあるのだろうなと思う。

 

だけど思いで見ることができる

自分のこの個性のことを

私はちょっと誇らしく思うんだ。

 

わたしのだいじなもの。